日テレ 石川みなみアナ 陸上箱根駅伝の実況がきっかけで入社?その箱根ランナーは誰?

石川みなみアナは日テレのアナウンサーです。
かわいくて注目されていることもありますが、駅伝好きとしては「日テレを目指したのが箱根駅伝がきっかけ」と聞いたら注目しないわけにはいきません。
石川みなみアナは、どんな理由で何を見て、聞いてアナウンサーをめざしたのでしょうか?
夢は箱根駅伝実況と語るきっかけになった、箱根駅伝ランナーは誰なのでしょうか?
石川みなみアナに注目していきたいと思います。

石川みなみアナ 日テレを目指したのはどんな理由??

石川みなみアナを紹介した投稿をたまたま目にしました。
かわいいなーと思っていたら

そこになんと「箱根駅伝」の文字が!
さっそく調べてみると

日テレを志したきっかけが

2009年に聴いた箱根駅伝の実況がきっかけです。”一般受験で早稲田大学に入学した選手が、努力を重ねてメンバー入りを果たし、最初で最後の箱根路を走っている”という内容の実況だったのですが、当時陸上競技(長距離)をしていて駅伝大会で補欠ばかりだった私は、その実況にもの凄く勇気をもらいました。選手一人ひとりの、テレビには映らない裏側の努力を声で伝える仕事に憧れを抱いたのを覚えています。当時はぼんやりとでしたが、大学進学を機に上京し、アナウンススクールに通い始めてから本気で日本テレビを目指し始めました。

とのことでした。

陸上をやっていたので自然にそちらに興味をもったのかもしれないですね。

調べてみると、5歳から13年間(ということは高校時代までですね)陸上長距離を経験していたそうです。
広島県広島市出身。
早稲田大学教育学部卒。

やはり、箱根で見たランナーにあこがれて自分も早稲田に入学したのでしょうか。

石川みなみアナ 夢は箱根駅伝実況!

印象に残っている研修が

箱根駅伝の研修です。6日間、内定者として中継会議からオンエア当日まで参加させていただきました。幼少期から箱根駅伝の大ファンで、いつか携わりたいと思っていたので、本当に嬉しかったです。当日はスタジオでお手伝いをさせていただいたのですが、平川アナウンサーの「1号車どうぞ」を生で拝聴したり、瀬古利彦さんにご挨拶できたりと、夢のような時間でした。

これは、箱根駅伝ファンなら夢のような体験です!
瀬古さんにも会えたんですね、レジェンドですからね、興奮しますね。

石川みなみアナはインスタなどまだ公開されていないようです。

【追記】ツイッター始めました

これからアナウンサーとして活躍する場が増えてくるのが楽しみですね。

かわいいだけでなく、女子アナが箱根駅伝を実況する日も遠くないと思います!

【追記】2022年の箱根駅伝では、メインではありませんがアナウンサーとして活躍していました!

石川みなみアナが注目した箱根駅伝ランナーはだれ?

石川みなみアナが聞いた時の箱根ランナーは誰のこと?
これは気になりますね。早速調べてみました。

ヒント
・早稲田大学
・2009年箱根駅伝
・最初で最後の箱根を走る
・一般入試で入学

これを全部クリアしたのは

第85回箱根駅伝で早稲田大学9区を走った 朝日嗣也(あさひつぐや)さん だと思います。

 

元箱根駅伝ランナー 朝日嗣也さんはどんな人?

朝日嗣也(あさひつぐや)さんのプロフィール

・1985612日生まれ 鹿児島出身
牧園中学校→加治木高校→早稲田大学競争部→九電工
自己記録
・5000m 14.16.4
・10000m 29.24.708.10.19 早稲田大記録会)
・ハーフマラソン 1.03.5507.11.18 上尾ハーフ)
駅伝成績
2008年全日本大学駅伝63
2009年箱根駅伝95

中学時代は自転車5kmと電車通学、陸上部に所属していたそうです。

社会科の教師を目指したこともあるとか。

大学受験は「推薦ではなく一般入試で早稲田に合格して箱根を走る!」
を目標に勉学に励んだそう。
そして一浪の後、合格。

長距離走という競技は、やはりコツコツと目標に向かうことなのかと思います。
目標を実現するのは諦めないことだと、わかっていても乗り越えるのは難しいですからね。

箱根駅伝で9区を走ったときも、トップ東洋大から45秒遅れて襷をもらったのを9秒まで迫るというあきらめない走りをしました。

きっとここですね! あきらめずに追いかける姿。
このあたりが、石川みなみアナが子どものころ、アナウンサーの実況で聞いたところではないでしょうか。

ひとりひとりの物語があることを実況していただける機会があるのも箱根駅伝の熱いところです。
石川みなみアナは、あきらめない心とアナウンサーの仕事の素晴らしさ両方をこのときに得られたのですね。

朝日嗣也さんは今も走ってる?

朝日嗣也さんは早稲田大学を卒業後、九電工で陸上を続けました。

・2010年朝日駅伝37
・2011年第60回記念公認鹿島祐徳ロードレース大会ハーフマラソンの部3

大きな記録はこれくらいでしょうか。他に記録会などもあると思います。

この第60回記念公認鹿島祐徳ロードレース大会の後に引退。

その後も教職を目指し塾講師をしながら

2012年 指宿10マイル(49分50秒)
2012年 種目別強化記録会 男子10000m

上記のレースや、その他記録会、グランツール九州(旧九州一周駅伝)、県下一周駅伝など積極的に走られています。


2014年 鹿児島南高校国語教師に(陸上部顧問?)

現在は鹿児島の鹿屋高等学校駅伝部(陸上部?)の監督をされているようです。

2019年10月31日に行われた第70回 鹿児島県高等学校駅伝競走大会に鹿屋高等学校も出場し、監督名に朝日嗣也監督という名がありました。
今も陸上に携わっているのですね、なんだかうれしいです。

ついこの間のような箱根駅伝出場ですが(すでに10年以上過ぎているが)
お元気で新しいステージで活躍されているようでよかったです。

まさかこのような形で当時の選手を振り返ることがあるとは思いませんでしたが
また九州一周駅伝に出場して勇姿をみせてもらえるといいなと思っています。

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